新宿御苑・旧洋館御休所【重要文化財】
東側の外観
西側の外観
⬆️古の伝説的アニメ忍者ハットリ君を見すぎた明くる日の午後、クロネコ配達員との対話の最中、OKと言おうとした所、思わず素で”ニンニン”と言ってしまった気まずい場の空気ほど噂の‥‥「洋館御休所(外観)」
創建当時の名称 | 洋館御休所(皇室御休所) |
所在地 | 東京都新宿区 |
構造 |
木造平屋建 |
規模 |
地上一階 |
原・設計者 | 宮内庁内匠寮 |
竣工年 | 明治29年(1896年) 明治42年(1909年)増築 |
保存方法 | 復原保存 |
その他 | 重要文化財(平成13年(2001年)指定) |
旧洋館御休所が建造された理由(目的)
旧洋館御休所は、天皇や皇族が新宿植物御苑内(現在の新宿御苑)の温室にて植物観賞される際の休憩所として1896年(明治二十九年)に現在地にて営まれた建造物とな〜る。
建設される際、明治初期に当敷地内に建っていた養蚕所の部材を部分的に再利用したらしい。
旧洋館御休所の歴史
1924年(大正十三年)に増築され、ほぼ現在に引き継がれる規模・仕様となったが、過去4度にも及ぶ増改築が実施された。
また、この頃の新宿植物御苑内にはゴルフコースやテニスコートが営まれ、クラブハウスとして皇室一家の余暇の場ともなった。
大正時代
1921年(大正十年)、御食堂が増設されると庭園で栽培された花々を用いてダイニングテーブルが飾られ、皇室主催の昼餐会や晩餐会が催されるなど、昭和初期にかけて多用された。
昭和時代
1945年(昭和二十年)、太平洋戦争の空襲によって新宿御苑は甚大な被害を受けたが、幸いなことに御休所は戦火を免れ、戦後は長らく管理事務所として重宝された。
戦後
戦後から1994年(平成六年)までは新宿御苑の管理事務所として使用された。
それから時代が下ると、歴史的・文化的価値が見出され、文化財として保護される運びとなり、2001年(平成十三年)、大正十三年当時の姿に忠実に復原されることになった。
改修工事の際には往時の姿態を損なわないように最善配慮の上、耐震構造も採用された。
特に旧御居間、旧次之間については壁紙、カーテン、敷物、家具、調度品に到るまで忠実に復原され、今日に到る。
そして晴れて2001年(平成十三年)4月29日(みどりの日)より一般公開され、10月には国の重要文化財指定を受けるに到った。
旧洋館御休所の設計者や建築様式
設計者:片山東熊(とうくま)※宮内省匠寮の技師
片山東熊は旧洋館御休所の”改修”工事の際、”回収”させまいと意気込みを見せるかのごとくに、当時アメリカで流行していたスティック・スタイルを採り入れて建造に到った。
旧洋館御休所の建築的特徴
スティック様式
外装には木口の一辺が一寸(約3㎝)程度の縦横斜めの小割材(スティック)を用いたデザインを採用す。
入口庇部の天井
西側廊下外構
洋式モダン格子窓
現在の木造戸建て建築では内壁に石膏ボードや断熱材、外側にサイディング材を多用する例が散見されるが、スティック様式では構成部品を剥き出しにするアーキテクチャを意匠的デザインとするので、見方によっては安定的な美しさを求められ〜る。
柱部(腰巻きカバー)
⬆️カバーを境目に上部を(角)面取り、下部を几帳面取りとする意匠にも注目💋
玄関口
ビクトリアン・クイーンアンスタイル
クイーンアン様式は19世紀後半のアメリカで流行した建築デザインであり、発祥はイギリスのビクトリアン王朝とされる。
そのビクトリアン王朝中期のデザイナーであるウィリアム・モリスが主導したアーツアンドクラフツ運動によって生み出された様式と云われ、アメリカに伝わると装飾性の高い様式へと進化した。
当・御休所を例に挙げると、屋根の妻飾りや軒先飾りの文様にビクトリアン・クイーンアンスタイルが用いられており、当時の我が国では画期的な意匠の洋式建造物となった。
現在、当・御休所で見られるような建築様式の類例は他に見られず、明治・大正時代の皇室関係の貴重な遺構とされ〜る。
旧洋館御休所の内部MAP
各部屋の内部は進入禁止
旧洋館は現在、”充分”過ぎるほどに国の”重文”指定を受けることもあり、原則、扉外から内部を覗き観るような見学スタイルとなる。
(内部に入って調度品などが”真近”で観れないということ。….”マジか”?)
旧洋館御休所の内部の様子
旧洋館御休所の内部は原則、撮影禁止のため、以下写真(画像)は新宿御苑の公式HPより引用したもの。
廊下
当初は温室と連絡する渡廊下に続く、外廊下だった。
1922年(大正十一年)の御浴室増築に伴って通路が吹き放ちでは都合が悪いとみなされたため、中窓(ガラス戸)をハメ込んで内廊下に改築された。
旧妃殿下御浴室
1924年(大正十三年)、皇太子殿下(昭和天皇)のご成婚に合わせ、随行する女官用の浴室とともに増築された。
当浴室が造られたことで皇族の方々の利用が急増した。
旧御厠(かわや)
1922年(大正十一年)に増築されたが、当時は希少とされた水洗式腰掛け便器が設置された。
旧臣下浴室&旧御浴室
旧御浴室とは、旧殿下御浴室のことであり、1922年(大正十一年)に臣下用の浴室と併せて増設された。
証明やバスタブ、タオル掛けなどの器具類が当時のまま現存する。
増築に伴って別棟にボイラー室が設けられ、ボイラーマンが給湯を担った。
旧次之間
この広間は1896年(明治二十九年)の創建時より手が加えられていない貴重な遺構とされる。
壁紙などの内装は、わずかに残された断片や記録などを参考にして復原されたもの。
ちなみに旧次之間の置かれる家具は、1927年(昭和二年)に創設された旧御涼亭(台湾閣)で実際に使用されていたもの。
現在、当施設の一般公開に合わせて移設された。
展示品
メロンの標本
実は我が国のメロン栽培は新宿御苑で開始された事実はあまり知られていない。
明治時代、新宿御苑は「内藤新宿農業試験所」と称する農業試験場だったが、宮内省の宮廷園芸技師・福羽逸人(ふくば はやと)がフランス・イギリスの品種では栽培が困難だったメロンを試行錯誤の末、雑種改良にて現在のマスクメロン栽培につながる品種の作出に成功した。
福羽逸人が著した回顧録
回顧録(かいころく)とは、過去の記録のこと。今となっては貴重💋
旧洋館御休所の公開日
開園日の9:30~16:00
※旧令和5年08月01日より洋館御休所の改修工事のため、一般公開は休止。(再開予定は未定のため、公式情報を要確認💋)