【なぜ中国の建物が新宿御苑にある?】旧御涼亭(台湾閣)🍜の歴史(建造目的)や建築様式(設計者or特徴)を….コーヒーこぼしながら知るつもり?

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旧御涼亭(台湾閣)とは?

台湾在住の邦人建築家・森山松之助(もりやま まつのすけ)が本格的中華風建築様式を用いて建造した歴史建造物であり、現今の我が国国内においても類例がほとんどなく貴重とされる。

それゆえ、2004年(平成十六年)に東京都選定歴史的建造物の指定を受けるに到る。

⬆️汗の臭いは出来立てホヤホヤ時は無臭プチ塩味、それが服に染みて3日放置で”あの激臭”が出来上がる‥‥てな汗の不思議メカニズムさほど噂の‥‥「旧御涼亭(台湾閣)」0

6なぜ日本庭園に中国風の建物があるのか?

当・旧御凉亭は、昭和天皇の御成婚を奉祝する意味合いで台湾在住の邦人(日本人)の有志により、1927年(昭和二年)に当時の台湾風(中華風)の意匠を以って建造されたことが大きな理由とな〜る。

旧御涼亭(台湾閣)の建築様式や特徴

「御涼亭」の名称が示すように設計者である建築家・森山松之助は設計の中核イメージとして次のように述べた。

「水の上に立つ御休息所」「夏の御散策の際に涼をとる建物」

ただ、当建造物は台湾在住の邦人が昭和天皇に奉献するために自国の建築様式(いわゆる台湾風)で建造したことから、屋根の形や瓦の色、内部の装飾などは中国南方地方の建築様式が採用された。

また、建築材料となった台湾杉や台湾桧についても取り寄せたらしい。

旧御涼亭(台湾閣)の歴史

前述のとおり、1927年(昭和二年)に昭和天皇ご成婚の奉祝する意味合いで、台湾在住の邦人(日本人)の有志によって旧御凉亭は献納された。

昭和天皇と台湾の関係とは?

日本が統治した台湾

日清戦争後の下関条約締結によって台湾が清朝(当時中国大陸を支配した国家)から日本へ割譲された話は現今、忘れておるコノヤロー共もさぞかし多いことであろぅ。
現にワぁタクぅシメもそのうちの一人だったのある。ホぉっ

我が国は1895年(明治28年、光緒21年)4月17日より台湾を統治下に置き、以来、ポツダム宣言(第二次世界大戦終結)後となる1945年(昭和20年、民国34年)10月25日まで、台湾の”実権”を”実験”する勢いで掌握した。どんな実験や

台湾行啓

昭和天皇は戦前ならびに皇太子時代から盛んに国内各地に行啓・行幸したが、中でもとりわけ有名なエピソードが台湾行啓である。

皇太子だった昭和天皇(摂政宮皇太子裕仁親王)は、1923年(大正十二年)4月に戦艦「金剛」に、まるで晴れ舞台に”登場”するかのごとくに”搭乗”し、その後、台湾を巡見(行啓)された。

昭和天皇は台湾に思い入れがあったのか、1971年(昭和四十六年)6月、佐藤栄作首相がアーミン・マイヤー米国駐日大使との会談後、「我が国が蔣介石(台湾の中華民国政府)をしっかりとサポートするよう促された」と伝えられていたらしい。(アメリカ国務省の外交文書により判明)

太平洋戦争の東京大空襲で施設全焼

1945年(昭和二十一年)5月、東京大空襲にて新宿御苑は罹災したが、奇跡的に旧御休所と当・旧御凉亭は火難を免れた。


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旧御涼亭(台湾閣)の外観

入口付近を遠望

入口接近

池泉の向こう岸より旧御涼亭(台湾閣)を遠望

旧御涼亭(台湾閣)の内部の様子

内部から西側を眺望

内部から東側を眺望

欄間には中華風文様の代表格ともいえる幾何学模様の透かし彫りの意匠が見える。

ちなみにラーメン茶碗でお馴染みの「雷文模様」は、中国では魔除けの意味合いで用いられたらしく、魔物を迷路に閉じ込めて永久に惑わせる‥‥などの意味合いがあるらしい。

なんにせよ、雷に形状が似ているとされたことから、いつしか「雷文様」などと呼ばれるようになったと云われ〜る。

旧御涼亭(台湾閣)内部からの眺望

西側より

中央より

‥‥‥新宿御苑の茫洋とした佳景の眺望が楽しめ〜る。

東側より

旧御涼亭(台湾閣)に伝蔵される宝物類

創建時の軒唐草瓦と軒巴瓦

軒唐草瓦

1927年(昭和二年)製瓦

国産特製の赤色の素焼き瓦で赤い色彩は中国建築にならったもの。

軒巴瓦

1927年(昭和二年)製瓦

装飾の「双喜(そうき)」の文字には天子の賛美の意味が込められているらしい。

改修時の軒唐草瓦と軒巴瓦

軒唐草瓦

1983年(昭和五十八年)製瓦

軒巴瓦

1983年(昭和五十八年)製瓦

保存・改修時の軒唐草瓦と軒巴瓦

軒唐草瓦

2001年(平成十三年)製瓦

軒巴瓦

2001年(平成十三年)製瓦


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戸扉の中華風からくさ文様の彫刻

唐草文様は名前の通り、蔓(つる)のように枝を伸ばす蔓草(つるくさ)を題材とした文様であり、複雑なうずまき模様や曲線で描かれる。

蔓で底知れぬ無限の生命力を表し、その蔓を四方八方へ伸ばすことによって繁栄の永続や長寿を意味する。

少し話題は逸れるが、唐草模様と酷似したものに「雲文様」がある。

古代中国では、雲から万物が生み出されたとする俗信があり、お空にプカプカと浮かぶ雲を神格化し、「雲気(うんき)」や「瑞雲(ずいうん)」と呼び、これを吉祥とした。

「於物魚躍」の透かし彫りの円窓

建物内の玄関先には上掲写真のような円窓がハメ込まれた壁があ〜る。

この円窓をよく見ると”漢字”のようなものが”感じ”良く伝わってくるが、実はこのような言葉が隠されてい‥‥‥申す。ひゃ

「於物魚躍(おじん ぎょやく)」

「於物魚躍」と書いてどうやら、「あゝ満ちて魚躍れりと」という意味になるらしいが、ただ、於物は「どんな物であろうとも」、魚躍は「魚が踊り跳ねる」などの意味もあり、少々、言葉のニュアンスに何とも名状し難ぃ節が感じられ〜る。

庭園の池中にいる魚(おそらく鯉)が飛び跳ねることは稀に見られる自然的現象と呼べるべきものであり、もし、鯉が飛び跳ねる光景を見れたのであれば、それは瑞祥(非常にめでたい出来事)以外のなにものでもない。

‥‥‥ということで私的にこの言葉の解すと、『どんな魚でも皇の御前では踊り跳ねることでしょう。』‥‥などの意味になるが…。はてさて

梁恵王章句上(孟子)に記される一文だった

調べたところ、どうやら孟子が春秋戦国時代に著した「梁恵王章句(上)」という古書物の中に見られる次の一文が着想のヒントになったらしい。

『王在靈沼、於牣魚躍。』

意味は次のようにな〜る。

『王、靈沼(大池)に在れば、於牣(みちる)ちて魚躍る。』

すなわち、『皇が大池(この台湾閣)に出御すれば、どのような魚でも跳び踊る(=貴方様の御代は貴方様が生きている間、乱れることなく恒久的に続く。=瑞祥を意味)』

旧御涼亭(台湾閣)の滞在時間

  • 約15分

この時間は館内に展示される宝物類or平均的な庭園観覧時間を含めたもの。

旧御涼亭(台湾閣)から眺める池泉を中心とした周辺の景色は大変、善く、本片手に一日中いれそうな場所である。

したがって周辺の景色の眺望を楽しむのであれば、その分、時間を要する。

旧御涼亭(台湾閣)の場所


旧御涼亭(台湾閣)へダイレクトに行くのであれば、千駄ヶ谷門から入園するのが、もっとも早ぃ。

新宿門からだと10分かかるが、園内を一周する”気概”が、”危害”を及ぼすほどの気合いぐらぃあるのであれば、新宿門から入って歩くのも良し。

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