明治神宮が建立された理由とは?
江戸時代が長く続いた日本にも、ふたたび天皇に主権が戻り、実質上の天皇(君主)による政治が行われるようになりました。
江戸時代が終焉を迎え、「明治天皇」による新たな政治が始まり、様々な法律や制度が制定され、新時代の日本の根幹となる政治の基盤を作って行きます。
しかし、明治天皇も人です。いずれ、寿命を迎えます。
1912年(明治45年)、明治天皇がご崩御(お亡くなり)されます。
この時、明治政府では明治天皇の偉業と威徳を称えて明治天皇にまつわる「銅像」や「博物館」などを造ることを企画します。
皇后の昭憲皇太后が政務を執る
次に明治天皇に取って代わって政治を行ったのが、なんと!明治天皇の奥様であった「昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)」です。
取って代わるといっても、政治の全てに介入したワケではないのですが、現在の「お茶の水女子大学」を代表校として国民のため(特に女性のため)に学校をいくつも設立しています。
また、日本赤十字に大量の寄付を行い「昭憲皇太后基金」を設立し、日本赤十字の設立に大きく貢献しています。
日本女子の社会進出の第一歩を築くべく「着物は自由に動くことができず女性の行動を制限する」と宣言され、自ら洋服を好んで着られ、それまでの女性の立場を大きく変化させた人物でもあります。
しかし、新時代の日本の根幹を作るべく目覚しい貢献をした昭憲皇太后も1914年(大正3年)ご崩御されます。
夫である明治天皇のご崩御から、わずか2年後のことです。
明治天皇のご崩御を称えて、何かを造ろうと計画を練っていた矢先のご崩御でした。
そこで、明治政府は新時代の日本に多大な貢献をしたお2人を称え、同時に祀るべく、大正天皇の許可を得て、「社」を造る計画を企画し実行へ移します。
すなわち、お二人を神様としてお祀りしようということです。
明治神宮の造営工事は5年間、述べ13000人が従事
昭憲皇太后が、ご崩御された翌年の「1915年(大正4年)」に造営工事が始まります。
この工事には、日本全国から国民が13000人も協力したといいます。
そして、1920年(大正9年)11月1日に約5年の歳月をかけて、ようやく明治神宮は完成を迎えることとなります。
明治神宮が現在の場所に建てられたワケは??
すでにテレビやマスコミのパワースポットの報道ニュースなどで、知ってる方も多いと思いますが、明治神宮が建立されている現在の場所は、その昔、徳川家の家臣であり、大名であった加藤家・井伊家の下屋敷があった場所です。
この場所は、昔から騒がしい江戸に隣接していながらも緑が多く、閑静な場所として知られており、明治天皇やその奥様である昭憲皇太后も大変、好まれた場所であります。
しかし当時、今の明治神宮が建ってる場所は、田畑や原っぱが一面に広がっており、現在のような森林はなかったといいます。
現在の森林は1本1本手植えされた植林で、つまりは人工的に造られた杜(森林)ですが、昔から御苑は存在し閑静な土地であったのには違いはありません。
このような理由から迷わず、この地に明治神宮の建立されることとなったのです。
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