イチョウは「東京都の木」
1966年、東京都は「東京都のシンボルともなる木」の公募を都民に向けたハガキ投票にて募集し、結果、イチョウが約半数近くを獲得し、今日、イチョウは東京都の木として有り続ける。うぃきゃ
そもそも日本の銀杏は往古の時代、中国よりもたらされた樹種とされ、現在では街の緑化計画のもと全国の市町村にて街路樹や庭木として広く用いられるなど、人々に視覚的な感動を与え、且つ、愛でられる樹木として知られる。
しクぁし!
それとは裏腹に実用性も兼ね添えた樹木という事実はあまり知られていなぅぃ。
その特徴ともいえるのが「耐火樹(防火樹)」となる。
新・日本街路樹100景でもある!
この外苑銀杏並木道は1994年(平成6年)に、読売新聞社が主催する「新・日本街路樹100景」にも選出されており、以来、多くのテレビ番組やドラマのロケ地としても多用された。
ちなみに「新・日本街路樹100景」とは、1994年に読売新聞社が創刊120年を記念して街路樹の景観が美しい100ヶ所を厳選した企画となる。うきゃ
明治神宮外苑にイチョウが植樹された理由
- 樹姿端正
- 樹高が美観を創造する上で最適‥てきてき敵多いほどに最適 どゆ意味や
- 緑量も豊富
- 防火にも一役買ぅ
- 公害にも強ぃ
- 気品が備わる
- 永年に及ぶ威容感を備えた美観を保つ
‥‥など外苑の広幅員街路(道幅の広い街路)の並木として最適‥‥てきてき…もぅエエわぃ!‥‥とされたことによるもの。ゴホっ
イチョウが街の街路樹として広く植栽される理由とは❓
イチョウの葉は水分を多く包有するので着火点が低い
イチョウの葉は水分を多く包有することから他の樹種よりも着火点が低く、飛び火(無数の火の粉による延焼)を遅らせることができる。
つまり、イチョウが延焼を防いでくれている間、我々の方では消化作業が行える。
画像引用先:鹿児島県庁より
外観が美しく視覚的に感動を与える
イチョウといえば11月-12月の紅葉時期、君の地雷メイクの如くに葉を美しい黄金色に染め上げることから、古来、秋のシンボリックな樹種として紅葉(モミジ)と共に広く知られる。
「美しい都市の創造」というモットーのもと、全国各市町村では街の緑化計画の目的の1つに「美観」が掲げる。
以上、如何にイチョウが街路樹として相応しい植物であり、広く植樹されるのかがお分かりいただけたかとも思うが、明治神宮外苑のイチョウ並木もまさにその緑化計画や防火対策のもとに植樹されたことになる。
イチョウ並木を作った人
1908年(明治四十一年)のこと、当時、造園界の泰斗(権威)として知られた折下吉延(おりしもよしのぶ)博士が、新宿御苑在来のイチョウ樹から生った銀杏を種子として、代々木宮内省南豊島の御料地内(現在の明治神宮内苑)の苗園に蒔いた。
その後、この銀杏は生長し、苗木は1600本にもなったが、ちょうどこの頃、神宮外苑造園計画が浮上し、その結果、折下博士が育て上げた1600本のイチョウ樹が採用されることが決定する。
この頃、1600本のイチョウ樹たちは樹高6メートルにも達していたが、その中からさらに最良のイチョウが選抜され、並木としての姿態を演出できるよぅ、年々樹形が整えられた。
そして満を持した1923年(大正十二年)、いよいよ神宮外苑に並木として折下博士が手塩にかけたイチョウたちが植樹されることになり、絵画館から延びる直路沿道に9m間隔で4列四条(4筋)に植樹された。
また、途中西折して女子学院正門(現・秩父宮ラグビー場)に到るまでの沿道へも、二条(2筋)の並木が植樹される運びとなった。
現在のイチョウ並木の本数や距離
- 全長300m
- 車道は幅16m
- 車道両側沿道に植樹帯(3.6m)と歩道(4.5m)を附帯
- イチョウの本数:146本(雄木44本、雌木102本)
※樹高測定は平成17年3月記録になるので若干の変動あり
明治神宮外苑のイチョウ並木の歴史
明治天皇崩御後となる1912年(大正元年)9月13日、旧青山練兵場の葬場殿跡地にて明治天皇の大喪の礼が執行されたが、1926年(大正十五年)10月22日に明治天皇の御霊を奉斎する明治神宮の外苑として新たに整備されなおした。
これが今日まで伝承される明治神宮外苑の起源となる。カっ!
外苑造成にあたっては西洋風の美観的意匠を用いて、洋風の絵画館を中心に据えた青山通りからの直線道路両脇に四条から成る並木をイメージしてイチョウが植樹された。
現在、外苑のイチョウたちは前述の代々木宮内省南豊島の御料地内にて育生された頃より早110余年、外苑に植樹されてから100年近くを迎え、未だ現今に到り成長を続ける。
このよぅに四季折々の美観を創出する現状を以ってして、植生の環境、入念な手入れ次第によっては永年に及ぶまで人々に感動を与え続られる、まさにぅぃ!街のシンボルとも成りうることを如実に物語ってい‥‥‥申す。アヒョぁ!
1938年(昭和13年)9月1日、東京都を直撃した台風は外苑地区へも甚大な被害をもたらし、桜並木をはじめとした約1000本にも及ぶ木々が倒木に到った。
しクぁし!
その後の東京大空襲においては奇跡的に罹災をまぬがれ、以後100年近くの経過を以って人工自然林を形成するに到る。
なお、太平洋戦争終戦後、神宮外苑は進駐軍(米国)に接収と相成ったが、都(東京都)は日本へ返還される前となる1951年、緑地保全の目的で「風致地区」に指定して景観維持に努めた。
程なくしてイチョウ並木の道路用地は東京都に返還と相成り、競技場はアジアオリンピック開催に備えて国立競技場として文部科学省が所管するところとなった。
これらの期間を除けば、明治神宮外苑は明治神宮の所管とするところであり、以来、都心のオアシスとして都民ひいては全国民に開放される。
2020年東京五輪から加速した「神宮外苑地区の街づくり」
神宮外苑本地区は大正期に策定された都市構造のもと、美観と緑化を意識した風致地区であり、尚且つ、主要スポーツ施設などは都立・明治公園と一体化させた大規模災害時における都民の防災拠点にも位置付られた。
明治神宮外苑のイチョウを用いた美観創出のデザイン構想
明治神宮外苑のイチョウ並木は四並列に植樹され、その正面に白亜の絵画館(明治神宮聖徳記念絵画館)を取り込むことにより、人工的な自然美を最大限に発揮させた。
また、「若芽→若葉→青葉→黄葉→落葉→裸木」‥‥といったイチョウの生態を最大限に活かし、四季折々で美観を楽しめる工夫も緑化計画に採り入れられた。
絵画館を中心とした遠近法(絵画の手法)の活用
明治神宮外苑は青山口よりの降り勾配になってい申すが、この降り勾配に合わせてイチョウたちも樹高の高低順に植樹され、四条の並木が創造された。
分かりやすく言うと、絵画館に近いほど樹高の低いイチョウが植樹されており、尚且つ、青山口から絵画館へ向けて地盤が約1メートルも下がっていることから、イチョウ並木の間から絵画館を見た時、実際の距離よりも絵画館が遠方にあるように見える。
これはルネサンス期に確立された線遠近法と呼ばれる、言わば遠近法の一種であり、この外苑が西洋風の意匠を以って造成されたことを物語る特徴ともなる。
実は4年に一度、剪定している!
上掲写真のように夜景としてイチョウ並木を遠望すればよく分かるが、イチョウ並木のイチョウたちは綺麗な二等辺三角形の形をしてい‥‥‥申す。アチュェァっ!
これは外苑を実質的に管理する明治神宮が4年に一度、葉のない(裸木)1~3月に剪定を行ぃ、あえて二等辺三角形になるよぅ(立体的に見れば円錐三角形となる)に樹姿を整えているとのこと。
現在、このような手のかかったイチョウ並木をタダ(無料)で観れているだけでも、幸せなのだということがシンミリと伝わってくる。
国内初となるワービット工法を用いた道路
ワービット工法とは、下層に粗粒度アスファルトコンクリートを15cm(秋田県豊川産/主要骨材は相模川で採取)、上層に富配合のアスファルトモルタル(5cm)を敷きつめ、上下層を同時に転圧(上から圧をかけて押し出す)して仕上げる工法のこと。
明治神宮外苑にはこのような80余年前の舗装が今もなお現存し、これは現存する車道用アスファルト舗装としては最古級のものであり、貴重とされる。
電柱(電線)が無い!
この外苑設計は徹底的に美観を追求して行われ、その一端が垣間見える箇所となるのが、電柱(電線ケーブル)、排水管、水道管、ガス管などをすべてを地下へ埋設させたことにある。
また、歩道と車道の分離も行った。
細部にまでこだわり抜いた意匠
外苑周辺をよく見渡すと、色々と他では観られない風変わりなコノヤローな物を見ることができ〜る。….コノヤロー?
- 高級石材で知られる桜御影の歩道敷石(絵画館前の池泉に溶け込むように設計)
- 花崗岩縁石(山梨県塩山産)
- L字型のグレーチング(溝などへの排水がスムーズな金属製の組み込み型の蓋)
西洋式のビスタ型景観を採用💖
「ビスタ景」とは、直線状の街路両脇に並木や建築物群を並ばせることで創られる見通しの良い壮麗な眺めのこと。
実は明治神宮外苑は設計が決まるまで実に3回もの計画変更が成されてい‥‥‥申す。
初案の提出は1914年(大正三年)6月で、この1回目の案で現在の配置の原型が決定するも、1923年(大正十二年)5月に出された2回目の変更案で周辺の売店(民有地)の買収案が採用された。
そして3度目の正直となるオラおらオラ〜‥で折下博士が登場し、同氏の意見が全面採用される形になった。おっ、”オラ〜”? 意味不明
同氏の案とは、幅員13間(車道6間、植樹帯各1間半、歩道各2間)に乗馬道7間を加えた幅員計20間とする案だった。
折下博士は外苑を設計するにあたり、青山口から並木道を通じて絵画館を覗いた時、視覚的連続性(切れ目がない)による奥行きではなく、あえて4列の並木を用いることによって閉塞されていく空間の広がりを想像させ、奥行きを表現したとされる。
だグぁしクぁし!
青山口方面から絵画館を覗き見た場合、絵画館前に2つの噴水池と、その間に広い芝生地が設けられていることによって空間が分断され、視覚的連続性が確保されない。
ただ、中央の広場は平坦な芝生地であり且つ、外側に進むにつれ、徐々に植え込みが濃くなっていくよぅに設計されており、これは周囲の樹群との間にメリハリを持たせることで絵画館をより一層引き立たせる設計を意図したと考えられてい‥‥申す。メリファっ(”メリハリ”をハッスルしながら表現)
これこそが日本文化があみ出した日本独自のビスタ景とされる。
イチョウ並木道(絵画館前通り)は土木学会選奨土木遺産に認定される!
土木学会選奨土木遺産とは、平成12年に歴史的土木構造物の保存を目的として創設された制度のこと。
前述のようにワービット工法や折下式ビスタ景観など、東京のシンボルたる道路景観とされることから、「聖徳記念絵画館前通り」として平成16年に指定を受ける到った。
イチョウは神木として奉斎されるケースもある
神社に行けば御神木として境内に植樹される巨木の幹に注連縄(ロープ)が巻かれている姿を散見する。
イチョウの巨木が神木として祀られている例も散見されるが、火事が多発した江戸時代、村人たちの一部は火事が起こると神社境内に逃げ込んでイチョウの幹にヘバリ付いて火難から護ってもらったり、太平洋戦争の空襲では焼夷弾による延焼を防いだ故事もある。
以来、人々はこれらの木々を神木と崇めるようになるが、現在、神社境内にて奉祀される「神木」と呼ばれる存在も、往古より伝承されるシャーマニズム(神木信仰)と習合した産物ともみれる。
外苑のイチョウが‥‥け、結婚❓
2000年(平成十二年)のドイツ遷都(ボン→ベルリン)に先立つ1999年(平成十一年)3月22日、ベルリン市内緑化のための植樹キャンペーン『Lebensraume-Lebensbaume(生命の空間-生命の木)』にて、日本代表としてこの外苑のイチョウの枝が同国のフンボルト大学へ贈られ、古樹に接ぎ木するセレモニーが盛大に催された。
イチョウが選出された理由
- 西欧では珍種の樹種とされる
- 葉の形が珍しく神秘的な感じを抱かせる
- ゲーテの書いた有名な詩「いちょう(Ginkgo biloba)」にみられるように恋愛を連想させるエキゾチックな香りと親しみを持てる
- ドイツやフランスを中心に医薬品としても知られる実用性
‥‥‥etc
関連記事一覧
スポンサードリンク -Sponsored Link-
当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。