【玉川上水・内藤新宿分水散歩道とは?】新宿御苑の外側に無料で入れる大自然に囲まれた散策路があった!何時まで入れる?

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玉川上水・内藤新宿分水散歩道とは?

  • 水路:水面幅1m
  • 水深:5~10cm
  • 底部:主に粘土仕上げ
  • 総延長:約540メートル

「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」とは、新宿御苑の外側にある散策路のことです。

新宿御苑の北側散策路(無料区域)にある、自然の流れに見えるよう配慮された分水散歩道です。

新宿御苑の下を通る国道20号新宿御苑トンネル内の共同溝には、地下水が湧出し、この分水散歩道ができるまでは、下水道管へ排出処理を行っていました。

しかし、この水を水路の水源として利用することにより、水を循環活用行っています。

他にも玉川上水・内藤新宿分水散歩道は、水路からの水の蒸発等によるヒートアイランド現象の緩和等、都市環境の改善も期待されています。

なお、玉川上水・内藤新宿分水散歩道へは、園内(有料区域)からは行くことができませんのでご注意ください。

玉川上水を起源とした新生分水路が誕生!

新宿区役所では「まちの記憶」として次世代へ受け継ぐべき財産である「玉川上水」の流れを偲ぶため、環境省をはじめとした多くの関係者の協力のもと、新宿御苑内に玉川上水・内藤新宿分水散策歩道を整備しています。

この散策歩道は「旧新宿門」「大銀杏」「大木戸」の3区間から成り、総延長約540メートル。

水源は国道20号新宿御苑トンネル内の共同溝に湧き出た地下水を利用。水路底に粘土を使用し、自然な流れが再現されています。

また既存の樹木を生かしながらの林床(うんしょう)には、武蔵野雑林で生育する草本花を中心に植栽されています。




玉川上水・内藤新宿分水散歩道で観られる草木花の種類

水辺には四季の変化が楽しめるよう約60種類47,000株の草木を植え、訪れる方に潤いとやすらぎの空間を提供する。

植栽されている草花樹木の種類

ホトトギス、カタクリ、リュウキンカ、ニリンソウ、ヤマブキソウ、ケヤキ、ヤマモモ…etc

新宿御苑散策路に入れる時間

期間 開園時間
10月1日~3月14日 9:00~16:30
3月15日~6月30日
8月21日~9月30日
9:00~18:00
7月1日~8月20日 9:00~7:00

立ち入りできない日

  • 新宿御苑の休園日

・毎週月曜日(月曜日が休日の場合は、翌平日)
・年末年始 12月29日から1月3日まで

ただし、3月25日から4月24日までの間、11月1日から11月15日までの間の月曜日は開園。

新宿御苑散策路のある場所

  • 内藤町11(新宿御苑散策路)

※新宿御苑散策路は、御苑の北側散策路(無料区域)にあります。
園内(有料区域)からは行くことができませんのでご注意ください。

玉川上水とは?

玉川上水とは、江戸時代から明治時代にわたり、江戸および東京に送られた飲料用の水路のことです。

多摩川流域の一部となる東京都羽村市の玉川取水堰から始まる川のことです。

ところが昭和初期の高度経済成長期を迎えた頃、この玉川上水は暗渠化(あんきょ/地下水路)され、以来、長らく姿を消します。

しかし、地元や区の間で玉川上水を復活させる声が出始め、このプロジェクトが平成17年に立ち上がり、散歩道整備のための検討会を発足しています。

玉川上水が造られた目的

江戸幕府が開かれる以前、江戸庶民の生活用水は赤坂にあった溜池水で賄われていました。

ところが1590年(天正18年)頃、徳川家康公が太閤秀吉の命により、三河(愛知県東部)から江戸へと転封(国替え)を命じられることになり、その後間も無く、井の頭池を水源とした神田上水が開発されています。

以来、この水源が江戸市民の暮らしを支える飲料水となり申したが、江戸に幕府が置かれるようなると参勤交代制度や経済の増大により、多くの武士や商人、町人たちがが暮らすようになりまする。

しかし膨れ上がった人口に対し、徐々に神田上水だけでは賄いきれなくなってきます。

そこで井戸でも掘って湧き水を頼れば良いのですが、江戸という土地はもともと海辺だった場所を無理やり埋め立てた場所が多く、飲料水にできるような良質の井戸水を得ることが困難な状況でした。

そこで開発されたのが玉川上水というワケです。

綺麗な水を送る玉川上水はどのようにして造られたのか?

玉川上水は、江戸幕府の命を受けた玉川 庄右衛門・清右衛門 兄弟により工事が開始されました。

まず、多摩川上流の羽村堰(現羽村市)から東京区部(江戸八百八町)へ水を送る条件として、川のように自動的に水が流れるような仕組みにしなければならないというものがありました。つまり、川の有り様を真似て、高低差を付けるということです。

ところが多摩川上流から江戸までは43㎞もの距離があり、高低差を付けるとなる大工事になりまする。

そこで玉川兄弟たちは多摩川に「取水堰(しゅすいせき)」を設けて、川水を一旦せき止めるダム状にして、そのダムから水を流す方法を思いつきます。

これによりたった90メートルほどの標高差ですが、羽村から四谷大木戸(現在の四谷四丁目交差点付近)までの約43㎞を、土を掘り抜いただけの開渠かいきょ/水路)を造ることで送水することが可能になったのです。

この工事は承応2年(1653)4月に着工し、同年11月には四谷大木戸までが完成。

さらに承応3年6月になると、江戸城虎の門まで完成を迎えています。

上水は羽村から四谷大木戸までは地上を流れ、四谷大木戸から江戸市中には、地中に埋めた石や木で作られた碑(いわゆる水路)を通して水が送られていまする。

なお、玉川兄弟は当初、「玉川」という姓ではなかったのですが、完成後、幕府から恩賞として「玉川」の姓と200石を与えられています。




玉川上水の歴史

江戸時代

水源は多摩川。羽村(東京都羽村市)から専用の水路が造成され、水が引き込まれている。石や木で造られた水道管を通じて水が供給され、人々の生活環境は飛躍的に向上します。開削者は、言い伝えでは農民の庄右衛門(しょうえもん)・清右衛門(せいえもん)という羽村近郊に居処していた2人の人物です。

ただ、一説ではこの2名は開削工事に失敗し、川越藩・松平信綱が家臣・安松金右衛門によって完成されたとも伝えられてい申す。

旧記である「上水記」の記述によれば、水路が見える区間は、羽村から武蔵野(むさしの)台地を横切り、四谷大木戸(東京都新宿区)まで。およそ40キロメートル。

四谷大木戸(新宿御苑の大木戸門あたり)より先となる、江戸城および江戸市中へは暗渠(あんきょ)でした。つまり通路が地中へ隠れていたワケでゴンす。

定説によれば、右衛門・清右衛門は玉川上水完成後、幕府より、「玉川」の姓を与えられ、上水の運営を一手に請け負ったとされています。

以後、玉川上水の運営は代々、玉川家に委ねられたのですが、1739年(元文4)に両家とも役を罷免され、以後は幕府の直営となってい申す。

しかし、1898年(明治31)東京都新宿区西新宿に淀橋浄水場が完成し、1901年(明治34)になると玉川上水が廃止され申す。

なお、玉川上水は、趣旨としては江戸市民の飲料用水の供給でしたが、途中の武蔵野台地の村々では、野火止用水(のびどめようすい)や灌漑(かんがい)用水としても利用されています。

そういう意味合いでは、非常に利便性の高いものだったと言わざるを得ません。

1653年(承応2)に羽村の開削工事が開始され、四谷大木戸、それを経て江戸城虎ノ門(とらのもん)前までがその翌年に完成します。

この後は暗渠、開渠問わず、江戸市中の生活配水路として徐々に延長されていくことになり申す。

以降は昭和初期を迎えるまでには暗渠化され、ほぼ完全に地上から姿を消すことになりまする。

歌川広重などの絵師によって浮世絵にも描かれた!

玉川上水は、新宿区域に入ると角筈村(現西新宿)、内藤新宿の南端を流れた後、内藤家屋敷(現新宿御苑)の中を流れていました。

内藤家では屋敷内の池(玉藻池)の水源として利用し、はたまた、内藤新宿の南側には上水の土手沿いに桜が植えられ名物となったほどでした。

現在の水道局の前身機関?「水番屋」も設置された

玉川上水は江戸・東京市民の貴重な水源。そこで玉川上水の水質や、水量、ゴミや異物の監視を行うための「水番屋」という機関も設けれています。

言わば現在の水道局の前身となる機関の誕生です。

  • 水番屋には次のような設備がありました。
  • 流れてきたゴミを止める「芥留」
  • 雨などのために満水となった時に「渋谷川」へ水を流し込む「吐水門」
  • 江戸市中へ取り入れるための水門
    …..etc
水番所があった場所
  • 四谷大木戸(現四谷区民センター付近)

 

現在の水番所の跡地には四谷区民センターが建ち、そのお外(四谷四丁目交差点付近/敷地内)には1895年(明治28年)に建てられた石碑(水道碑記)がありまする。

昭和時代

昭和初期までには暗渠化(あんきょ/地下水路)されていましたが、以来、区や地元の間では、玉川上水を偲んで、復活させる声が上がり始めます。

昭和63年(1988年)

新宿通 り(放 射5号 線)の地下化工事始まる。地上部分の復旧工事に向けて、散 策道整備の検討が始まる




平成時代

いよいよ復活させる声が大きくなってきた平成17年、ついに散歩道整備のための検討会が発足し、工事が開始されます。

平成元年(1989)年

「四谷大木戸に玉川上水を復活させる会」から、多くの署名を添えて新宿区議会議長に陳情書が提出される。

平成16年(2004年)

新宿区まちづくり懇談会」で玉川上水の整備が取り上げられる。雑誌鼎 談(小池環境大臣、 中山新宿区長、 石川慶大教授)に て、玉川上水の復活が提案される。

平成17年(2005年)

全国都市再生モデル調査に選定。~都心部における水とみどりのネットワークによる自然環境の再生に関する調査(環境省)~

平成19年(2007年)

7年度からの検討会を経て、「玉川上水・内藤新宿分水散歩道基本計画」を策定

平成22年(2010年)

「玉川上水・内藤新宿分水散歩道(大銀杏区間(約240m))」開水。4月22日に通水記念式典を実施される。

大木戸区間が2011年(平成23年)開水!

「大木戸区間(約120m)」が2010年(平成22年)開水。

平成22年(2010年)

第26回都市公園コンクールにて国土交通大臣賞受賞

旧新宿門区間が2011年(平成23年)開水!

続いて平成23年には最終段階となる「旧新宿門区間(約180m)」が整備され、これにより、一応の玉川上水の復活は成っていまする。

玉川上水の仕組み

江戸市中の玉川上水は地中に木樋や石樋を用いて水が供給されていました。

石樋は本管として部分的に使用され、そのほとんどは木樋が使用されています。

送られてきた水は、地域の各所定の場所に設けられた上水用の井戸に溜め、これをくみ上げて使用したのです。

画像引用先:新宿区役所

 

現在の玉川上水の仕組み

新生・玉川上水の分水にふさわしい姿が表現されています。

整備に際し、人造水路である玉川上水やその分水をイメージして直線的な流れとし、水路底には粘土(刃金土)を使用し、環境に配慮した作りになっています。

水路の構造についても、既存の玉川上水や現存する分水の姿がモチーフとされています。

なぜ玉川上水を復活させようと考えたのか?

 21世紀の環境の時代を象徴する水の道であり、次の役割を担う
 都市における水循環と生物多様性の回復に貢献
 都市空間に潤いを与える水景の創出
 歴史的用水路としての風格のある直線的線形
 都市気象の緩和とクールアイランドの創出
 新宿御苑の森の歴史的変遷を継承した空間構成

以上、新宿区役所より引用

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